最後に勝利する人生を生きるために

 「やがて天地が滅びる時が来る。」最近こんな事を、よく耳にするようになりました。映画やテレビ、歌謡曲でも、そんな事が扱われるくらいです。

 今、世界中に起こっている大規模な地震や洪水、原発問題と不安定な中東情勢、それに加え異常気象による高温化や大寒波、その他色々な出来事が、私たちの日常生活に暗い陰を落としています。

 多かれ少なかれ誰もが、漠然とした死に対する恐怖や、将来の不安を抱えて生きているような時代です。そのような中で、何が私達の死への恐れや将来の不安に、解決をもたらしてくれるのでしょうか?

  

 聖書は、昔から世界のベストセラーだと言われます。その聖書の黙示録には、これから先に世界がどうなって行くのかも預言されています。それらの預言は、世界中の私たち人類にとって、決して楽な状況ではない時(患難時代)が来る事も語っています。しかし、それと共に、聖書には、私たち人間が「どうすれば救われるのか?」それらの問いに対するはっきりとした答えが書かれています。

なぜなら、(聖書の)預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。ペテロ1:20.21

 聖書は、神による『救いの道』が明確に書かれた、世界中の私たち人類に与えられた、権威有る『神のことば』なのです。

 

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。」〈ヨハネ福音11:25

聖書は、キリストによる『死にさえも勝利できる命の道』を教えています。死にさえも勝利できる、そんな不可能が可能になるグッドニュースが書かれいる書物、それが聖書です。  

 

ー やがて来る新天新地 ー

聖書は、神が初めにこの天と地を創造された事や、エデンの園でのアダムとイブの話が書かれている、創世記で始まります。そして、最後は黙示録で、やがて来る新天新地で終わります。

 

エデンの園での出来事

神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。そして、彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人(アダム)と呼ばれた。〈創世記5:1.2

 

 アダムのあばら骨からエバが造られた事は、(エバはラテン語、イブは英語読み。日本語の聖書はエバで登場)、皆さん御存知の話です。ちなみにアダムの名の意味は、「人」です。

 

 神が、初めに造られたエデンの園には、神と人との間に、真の平和がありました。また、人と人との関係、人と自然界の間にも美しい調和がありました。そこは、神に祝福された世界でした。神は、人類の祝福として、神の造られたこの美しい地球を人に治めさせ、又、全地が産み出す豊かな実りの全てを、私達人類に与えられました。人は、神より最高の祝福を受け、ありのままの自分で神に愛され、神に造られた自分自身が、高価で尊い存在であることを知りつつ生きる、真の自由がありました。  

 しかし、これも誰もが知っているような話ですが、イブが蛇に誘惑され、神に「あの木からは食べてはならない。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。」と言われていた、その木の実を取り、アダムにも与え、食べてしまうまではの話です。

 

 神が人を愛するが故に命じられた、たった一つの命令を、人は守ることができなかったのです。神の愛と、その言われた言葉に信頼するよりも、蛇すなわち悪魔の、狡猾な嘘に耳を傾け、自分の目に良く見える見せかけだけの物に騙され、神に従えなかったのです。

 

 子供の頃、私達も、親から「お菓子をあげると言われても、知らない人について行ってはいけません。」「暗くなるまで遊んではいけません。」そんな事を言われたものです。その言いつけを守れば安全でしたし、時にはうるさく感じ親に反抗した覚えが、誰もが少しはあるのではないでしょうか。

 

 愛なる神と、神のことばを信じないで、神に背を向け神の心を悲しませること、これが聖書でいうところの罪です。

 エデンの園で、人が罪を犯した結果、罪が世界に入り、罪によって死が入り全人類に広がったのです。それというのも全人類が罪を犯したからです。

 エデンの園以来、神と、神のことばを信じて、命の道を選ぶのかどうかは、私達の自由意志、すなわち選択にかかっています。

 なぜなら、神は、人間を、奴隷やロボットのように御自分に従わせたいのではなく、あなたが、神の愛を信じて、神の子として、御自身のもとへと帰って来てもらいたいからです。神は、人を、神の子供として御自分の似姿に造られ、父なる神として私たちとの、愛による関係を望まれたのです。

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。〈ヨハネの福音書3:16

 

神は、人の罪と死の問題に解決を与える為に、そのひとり子イエスを世に遣わされました。クリスマスは、そのイエスが人となって、乙女マリアよりお生まれになった事をお祝いする日です。

 

 イエスキリストは、私たち人類の罪を負い、身代わりとなって死ぬ為に、人となって、この世に来られました。そして、イエスキリストは、私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目に死人の中からよみがえられました。

 それは、イエスキリストを信じる者が、恵みにより罪赦され、永遠の命を与えられためなのです。それにより、主イエスキリストは、私たちを死と死の恐怖から解放してくださったのです。

 

 有名なアメージング・グレースという曲の驚くばかりの恵みとは、このイエスキリストの十字架の死と復活による救いである、グットニュースの事を歌っています。

「罪の中で死んでいた私のような者さえ、神は罪を赦し、ただ恵みによって救ってくださった。私は神に愛されている。本当に驚くばかりの恵みである。」

というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。コリント15:21.22

 最初の人アダムひとりを通して罪と死が入ったので、ただひとりの主イエスキリストを信じる恵みによって、すべての人は救われるのです。

 創世記に、神が最初の人アダムにいのちの息を吹き込まれたので、人は生き者となったと書いてあるように、最後のアダム・イエスキリストは、私達人類に復活のいのちを与えることのできる生かす御霊となったのです。最後のアダムであるイエスキリストだけが、新しい命の息吹を私たちに与えることができるのです。

 黙示録には、このように書かれています。また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。〈黙示録21:1.4

 たとえこの天と地が滅びても、イエスキリストを信じる者は、死者の中から復活し、神とイエスキリストが共におられる、愛と平和と祝福に満ちた永遠の御国である、新しい天と地に住む日が来ます。

  

  

私たち人間には、遅かれ早かれ必ず、避けることの出来ない死という問題がやって来ます。その最後の日に勝利ある者とは、聖書のグッドニュースを信じ、救い主イエスの復活のいのちを持つ者なのです。それこそが、私たちが、愛と希望と平安の中で人生を生きる鍵となるのです。最後のアダムであるイエスこそ、この全世界を救うメシヤ・キリストなのです。

  もし、今これを読んでいるあなたが、イエスキリストを信じるかどうかを迷っているなら、勇気を出して一歩踏み出してください。そして、あなたもイエスキリスト信じて、平安と希望に満ちた新しい人生を歩んでいきましょう。

 

 また、聖書には、世界中の皆さんが知っている人々が登場します。聖書は、アダムとイブ、アブラハム、ダビデ(ミケランジェロの彫刻で有名)、モーセ(の十戒で有名)、イエスの母マリアなど、誰もが一度は聞いた事がある人々の話です。 神は、世界中の誰もが知っている、これらの人々を通して救いの計画を進めてこられました。聖書は、それら実在した人達が、歴史的証言として『神の永遠の救いの計画』を書き記した書物でもあります。

これを読んで、聖書に興味を持って頂けた方。また、救い主イエスキリストをもっと知りたいと思われる方は、お近くのキリスト教会へ足を運んで頂ければ幸いです。

 

 

英語のホームページもあります。 

English home page.

The way of life 

              The last Adam

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